二代目三波伸介について 私の喜劇人生 三波伸介一座 ブログ
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私の喜劇人生-5
(コメディ・ライフ)

   
二代目三波伸介

『絵』

親父はつねに云っていた。
「コントってのはフランス語。アメリカのコメディアンはスケッチって云ってんだ。覚えとけ。」
多分、ウチは親子で志が同じだから確執と云うのは、ヨソ様よりは少なかったろう。
しかし、一つだけ大きな対立構図が存在した。
それは、大袈裟に云うと「絵画」であった。

『確執』

親父は「減点パパ」で、または「三波伸介の凸凹大学校」のエスチャーで周知の通り、 「絵」がうまかった。
いや抜群の感性と腕前であった。
しかし、私も“新宿区が生んだ井の中のかわず”で、後に美大に進んだ由である。
親子で絵の質が酷似していれば、コントやスケッチよろしく
“対立の構図”は生まれるはずもなかったが、親父と私の絵はまさに好対照であった。

『似顔絵』

志ん生と文楽の様に、ここまでくれば好き嫌いの域であり、
批評を求められる側は、事の正否を二人の顔色をうかがいながら
明確な解答は避けざるを得ない状況にもっていかれる。
問題は 親父も私も「似顔絵」が最も得意であると云う事。

『違い』

親父は正確な骨格表現を「影と点」の重視で
内面的性格を「似顔絵」として創り上げる名人。
対して私は、デフォルメに重点を置き
「パロディ」と云う「小道具」を使い「線」でカリカチュアする仕上げ方。
「なんのこっちゃわからん。」と云う人も、出てくる言葉が違うからご理解下さい。
とにかく違うのです。

『被害』

親子の似顔絵合戦で迷惑を被るのはモデルになった方々。
二つの作品に対し、絵の技術は認めるものの
「俺の顔ってこんな変なの?」
と、心に思いつつ、エスカレートする勝負?に辟易された事でしょう。

『*年後の怒り』

「誰の何年後」と云うテーマで勝負した時、
私の母(伸介夫人)の30年後を二人で描いた。
二人で描きたい放題描いて、親父の弟子達は大笑いしたが、
その、似顔絵を見た母は、烈火のごとくに怒り、
「今日は夕食なし!!」と宣言。
しぶしぶ日本そば屋でざるそば食べに行った思いでがよぎる。

『そして、30年後』

しかし、しかしである。
この似顔絵対決は父亡き30年後の今、決着がついた。
おそろしい程、今の「母」にそっくりなのである。
私の絵は完敗した。
母自身も「私だって、あの頃は30代でしょ。婆さんになった顔なんて想像したくないよ。 でも、いま、まじまじと鏡みても、悔しいけどお父さんの描いた似顔絵はそっくりだよ。」
と、会心作と認めた。

『三位一体』

内面の表情をとらえた父の表現力の勝ちであった。
ヒッチコックやスピルバーグの絵コンテの本を私に見せて
セリフと動きと絵の三位一体こそ、表現力の基本」
と、教えてくれた父。
見事なコント、いや、スケッチのご教授でした。
でも、俺は絵では負けてない…と思う…。


続く




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