『絵』
親父はつねに云っていた。
「コントってのはフランス語。アメリカのコメディアンはスケッチって云ってんだ。覚えとけ。」
多分、ウチは親子で志が同じだから確執と云うのは、ヨソ様よりは少なかったろう。
しかし、一つだけ大きな対立構図が存在した。
それは、大袈裟に云うと「絵画」であった。
『確執』
親父は「減点パパ」で、または「三波伸介の凸凹大学校」のエスチャーで周知の通り、
「絵」がうまかった。
いや抜群の感性と腕前であった。
しかし、私も“新宿区が生んだ井の中のかわず”で、後に美大に進んだ由である。
親子で絵の質が酷似していれば、コントやスケッチよろしく
“対立の構図”は生まれるはずもなかったが、親父と私の絵はまさに好対照であった。
『似顔絵』
志ん生と文楽の様に、ここまでくれば好き嫌いの域であり、
批評を求められる側は、事の正否を二人の顔色をうかがいながら
明確な解答は避けざるを得ない状況にもっていかれる。
問題は
親父も私も「似顔絵」が最も得意であると云う事。
『違い』
親父は正確な骨格表現を「影と点」の重視で
内面的性格を「似顔絵」として創り上げる名人。
対して私は、デフォルメに重点を置き
「パロディ」と云う「小道具」を使い「線」でカリカチュアする仕上げ方。
「なんのこっちゃわからん。」と云う人も、出てくる言葉が違うからご理解下さい。
とにかく違うのです。
『被害』
親子の似顔絵合戦で迷惑を被るのはモデルになった方々。
二つの作品に対し、絵の技術は認めるものの
「俺の顔ってこんな変なの?」
と、心に思いつつ、エスカレートする勝負?に辟易された事でしょう。
『*年後の怒り』
「誰の何年後」と云うテーマで勝負した時、
私の母(伸介夫人)の30年後を二人で描いた。
二人で描きたい放題描いて、親父の弟子達は大笑いしたが、
その、似顔絵を見た母は、烈火のごとくに怒り、
「今日は夕食なし!!」と宣言。
しぶしぶ日本そば屋でざるそば食べに行った思いでがよぎる。
『そして、30年後』
しかし、しかしである。
この似顔絵対決は父亡き30年後の今、決着がついた。
おそろしい程、今の「母」にそっくりなのである。
私の絵は完敗した。
母自身も「私だって、あの頃は30代でしょ。婆さんになった顔なんて想像したくないよ。
でも、いま、まじまじと鏡みても、悔しいけどお父さんの描いた似顔絵はそっくりだよ。」
と、会心作と認めた。
『三位一体』
内面の表情をとらえた父の表現力の勝ちであった。
ヒッチコックやスピルバーグの絵コンテの本を私に見せて
セリフと動きと絵の三位一体こそ、表現力の基本」
と、教えてくれた父。
見事なコント、いや、スケッチのご教授でした。
でも、俺は絵では負けてない…と思う…。
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