二代目三波伸介について 私の喜劇人生 三波伸介一座 ブログ
萬天舘について 写真館 初代三波伸介 表紙

私の喜劇人生-8
(コメディ・ライフ)

   
二代目三波伸介

『喜劇王』

喜劇王と云われた先人達は、数多おられる。
日本で云うならエノケン、ロッパ、金語楼、シミキン、デンスケ、 森川信等々…(敬称を略させて頂いております。)
先代(親父の事を普段、私はこう呼ぶ)は、
とにかく「喜劇王」の名にこだわった。
大時代的な言葉の響きだが「喜劇王」と云う冠が大好きだった。
かく云う私も大好きだ。

『喜劇の灯』

先日、先代の遺品の虫干しをしていると、
榎本健一先生の似顔絵が出てきた。
Clickで拡大!ブラウザで戻ってね! Clickで拡大!ブラウザで戻ってね!
初代三波伸介・画 二代目三波伸介・画
もちろん先代が描いた物だ。
情のこもった、素晴らしい絵だ。
そして、榎本先生から頂いた手紙も出てきた。
詳細は略させて頂くが、榎本先生が「三波君」と親しみを込めて
「喜劇への情熱を続けて欲しい。」
「喜劇の灯を絶対に消さないで欲しい。」云々の内容が記してあった。
これを読んだ、先代は身の引き締まる思いだったろうし、 私も改めて肝に銘じた。

『喜劇王・エノケン!』

晩年は鋼の肉体を病で壊されてしまった榎本先生。
先代の日記には、涙ながらに
「榎本先生ガンバレ!!」と 書いてある行もある。
昭和45年、榎本健一先生の告別式から帰ってきた先代の肩を落とした姿は 今でも、幼心に焼きついている。
先代は後々、エノケン映画の名作の話を たくさんしてくれた。
「ちゃっきり金太」の話。
「法界坊」と云う映画のワンシーンを唄と動きまでやってくれた。
大好きだったんだろう…。
この愛すべき「喜劇王・エノケン」が…。

『生きる証』

私は、榎本先生から頂いた「エノケン・サイン入りライター」と「ネクタイピン」をながめながら 「喜劇で生きて行く」気持ちをより一層強くした。
このごろ、しばらくは、親父の愛した喜劇王達をつづってみたい。
2004年、奇しくも、私は浅草で行われた 「エノケン生誕100年祭」に出演、 光栄にも榎本先生の名作コントを演じさせて頂いた。
私の若さで、伝説の方々にふれる事が出来、運命を感じた。
わたしが喜劇を続けることは、 私の生きる証しであるのだから。





戻る