『喜劇王』
喜劇王と云われた先人達は、数多おられる。
日本で云うならエノケン、ロッパ、金語楼、シミキン、デンスケ、
森川信等々…(敬称を略させて頂いております。)
先代(親父の事を普段、私はこう呼ぶ)は、
とにかく「喜劇王」の名にこだわった。
大時代的な言葉の響きだが「喜劇王」と云う冠が大好きだった。
かく云う私も大好きだ。
『喜劇の灯』
先日、先代の遺品の虫干しをしていると、
榎本健一先生の似顔絵が出てきた。
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初代三波伸介・画 |
二代目三波伸介・画 |
もちろん先代が描いた物だ。
情のこもった、素晴らしい絵だ。
そして、榎本先生から頂いた手紙も出てきた。
詳細は略させて頂くが、榎本先生が「三波君」と親しみを込めて
「喜劇への情熱を続けて欲しい。」
「喜劇の灯を絶対に消さないで欲しい。」云々の内容が記してあった。
これを読んだ、先代は身の引き締まる思いだったろうし、
私も改めて肝に銘じた。
『喜劇王・エノケン!』
晩年は鋼の肉体を病で壊されてしまった榎本先生。
先代の日記には、涙ながらに
「榎本先生ガンバレ!!」と
書いてある行もある。
昭和45年、榎本健一先生の告別式から帰ってきた先代の肩を落とした姿は
今でも、幼心に焼きついている。
先代は後々、エノケン映画の名作の話を
たくさんしてくれた。
「ちゃっきり金太」の話。
「法界坊」と云う映画のワンシーンを唄と動きまでやってくれた。
大好きだったんだろう…。
この愛すべき「喜劇王・エノケン」が…。
『生きる証』
私は、榎本先生から頂いた「エノケン・サイン入りライター」と「ネクタイピン」をながめながら
「喜劇で生きて行く」気持ちをより一層強くした。
このごろ、しばらくは、親父の愛した喜劇王達をつづってみたい。
2004年、奇しくも、私は浅草で行われた
「エノケン生誕100年祭」に出演、
光栄にも榎本先生の名作コントを演じさせて頂いた。
私の若さで、伝説の方々にふれる事が出来、運命を感じた。
わたしが喜劇を続けることは、
私の生きる証しであるのだから。
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